<神戸三セク>「くつのまち」解散へ 復興支援の役割終了

阪神大震災で関連企業の8割が被災した神戸市のケミカルシューズ(合成皮革の靴)産業を支援している市の第三セクター「くつのまちながた神戸」が、2017年度中に解散する見通しになった。復興の拠点として市が長田区に建設した「シューズプラザ」の運営主体だったが、地場メーカーが都市圏での直接販売に注力するようになり、市は「役割を終えた」と判断した。建物は民間に売却する方針。17日で震災発生から22年になる。

 神戸は戦前、外国人居留地があったことで靴産業が発展。戦後にケミカルシューズを開発し、国内最大の生産地に成長。「日本ケミカルシューズ工業組合」の加盟企業の8割超と関連企業が長田、須磨両区に集中し、神戸市の主要地場産業だった。

 だが、震災で市内の同組合加盟企業192社(当時)のうち158社の建物が全半壊・全半焼し、関連企業約1600社の約8割が被害を受けた。同組合によると、震災前年の1994年の全国の生産額は659億円だったが、95年は285億円と半分以下に激減し、代わりに安価な外国製品が流入した。94年には6444人だった従業員数も95年には3640人と大幅に減った。

 市は地場産業の復興を旗印に、商品開発や販路開拓などの支援策を実施。99年には「くつのまちながた神戸」を中小企業基盤整備機構などと設立し、翌年にはJR新長田駅北側にメーカーのアンテナショップなどが入る「シューズプラザ」をオープンさせた。玄関に巨大な赤いハイヒールのオブジェを配置した建物は話題を呼び、この頃には生産額も500億円台に回復した。

 しかし、08年以降はリーマン・ショックの影響で景気が低迷するなどして安い海外製品に対抗するのが難しくなり、生産額は再び減少。15年には震災翌年と同程度の372億円にまで落ち込んだ。

 地場メーカーなどはデザインや品質を重視した「神戸シューズ」のブランド化で生き残りをかける戦略を採用。百貨店やネットでの販売を重視する方針に転換した。その結果、繁華街から離れた「シューズプラザ」の存在意義が薄れ、アンテナショップは全て退去。靴関連の店の入居も数店と低迷していた。

 市ファッション産業課は「これ以上存続させても赤字が増えるだけ。復興支援の役割は既に果たした」と説明している。【栗田亨】

 ◇長田区の被害と復興状況

 6434人が亡くなった阪神大震災では、死亡者の7割が神戸市内に集中し、長田区では919人が亡くなった。ケミカルシューズ工場や商店、木造家屋が密集していたため、とりわけ火災の被害が大きく、市内最悪の4759件が全焼した。震災復興の市街地再開発事業が唯一続いており、全国最大規模の再開発事業が展開されているが、昼間人口は震災前を下回ったままとなっている。